利き手
喫煙所での出来事
ヤングなカップルが仲良くタバコを吸ってたのだが、彼氏が「なんで右利きなのに左手でタバコ吸ってるの?」と彼女に聞いた。
彼女が「えーだって左でタバコ持てば右手で手ぇつなげるじゃん!」と彼氏に抱き着きながら答えた。(燃焼物を持ちながらいちゃつくンじゃァない)
「ふーんタバコ持ちづらくない?」事も無げに答える。
「でもスマホとか触りながらタバコ吸う人って左手で吸う癖あると思うよ」
俺は気が付くと視界を自分の左手に移していた。
確かに
周りを見渡せばスマホを触る習慣がありそうな若年層は実際スマホをいじりながら左でタバコを吸っているし、同僚と喋りながらタバコを吸う中高年のサラリーマンは右手でタバコを吸っていた。(利き手は腕時計のつけている方で推測)
何気ない会話だったが、なんだかすごいことに気づかされたような気分だった。
そんな割とどうでもいいことに気づかされて感銘を受けている自分をよそに、二人はタバコを持っていなかった綺麗なお手てを繋いで夜の繁華街に消えていった。
ところでこの握りしめた利き手の拳はどうすれば良いのだろうか…
置き去り
気温3℃午後7時
吹雪のような激しい雪の降る中バスを待つこと10分
ようやく来たバスが、バス停を素通りしていくのを眼前に眺めるという人生初の経験をした。
黒いズボンに黒いコート、黒い鞄。黒づくめ姿が運転手の視界に入らなかったのかと思ったが、それでは自動車のライトの存在意義がなくなる。
バスの運行会社に連絡したらタクシーをよこしてくれるとのこと。
公共交通機関の会社が他社の交通手段に依頼することにおかしさを感じたが、おかげで快適な帰り道になった。
バス会社からの電話で平謝りされたが、悪いのは運転手であって事務員じゃないしタクシーも用意してもらったので穏便に済ませた。
ところで何度も言い間違えたり繰り返し謝罪の言葉を繰り返すその姿は謝りなれてなさを感じていたのだが、それはある意味ではいいことだと思った。
何故ならそれは普段謝罪するような事態が少ないということだからだ。
自分の前職の業界では大抵の人が他の作業をしながら電話口で謝罪の言葉を述べられるくらい謝り慣れていた。もちろん自分も朝食を摂りながら謝罪の電話できるように仕込まれたものだ。
謝罪の言葉に申し訳ないという気持ちを含ませていたらこの先やっていけないと先輩や上長によく言われたなぁ
まぁそんな世界についていけなくて辞めたわけだが
気持ちを置き去りにしなければまともに働けない社会が今日もどこかで通常運行しているだろう。
ただもう雪道に置き去りにするのだけは勘弁してくれぃ…
腰
腰に激痛が走る。
それは唐突に襲い掛かってきた。
寝返りを打ったと同時に腰に猛烈な違和感と痛みが走った。
人生3度目の襲来となる腰痛は仕事の時間もお構いなしに痛みを引き起こす。
恥を忍びひょこひょこ歩きでホテルまで戻る道のりがなんとも長く感じた。
だが、腰痛は日本人の4分の1が患っているといわれるほどの国民病、駅のど真ん中で腰を抑えながら前傾姿勢で歩いたとしても恥じることはない。むしろ痛みに耐えながら帰路に就こうと懸命に頑張る姿を見せつけたといえよう。
恥ずかしいといえば、誰かに見られて恥ずかしくない振る舞いをしようとするのは割と日本独自の文化だったりする。
欧米ではやってはいけないタブーのほうを意識する。
これは幼少のころから教えられる、恥の文化と罪の文化の違いらしい。
日本は子供を躾けるとき、恥ずかしいことだからしてはいけないと教えることが多い。一方欧米では行為の危険性からしてはいけない、善悪の観点から禁止する躾をするのに起因する。
自分で話の腰を折ってしまったが、とにかく腰は大事にしよう…
慣れ
仕事柄毎週のように新幹線に乗ったり、飛行機に乗ったり、長距離移動のための交通手段として公共交通機関を利用する。
もちろんコロナの真っただ中であろうと利用していた。
今は幾分コロナの脅威も薄まり、随分新幹線の利用客も増えた。
ガラガラだった自由席には列を成し、夕方ごろともなると立ちっぱなしで次の駅まで乗っていく人も少なくないように感じる。
指定席も2列なら大抵隣は空いてたし、3列なら1つ空けて窓際と通路側で座っていて、自然とソーシャルディスタンスが形成されていた。(なので東京からの某夢の国でデートしてきたであろうカップルのいちゃいちゃを隣で見せつけられる不幸もなかっただろう…)
一時ほどの脅威は無くなったにせよ、依然として感染リスクは残っているわけだが、前ほど密な状況を気にする人は少なくなった印象だ。
以前の様に人が外に出て密集する状況には世間が前より騒がなくなったという理由もあると思うが、自分的には人々が未知のウィルスに対しての恐怖に慣れてしまったようにも感じる。
自粛自粛で人々は我慢を強いられてきたが、我慢できていたのは感染した時のリスク、恐怖があったからだろう。しかしワクチンの開発が進むにつれて、コロナに対する理解と対抗策を手に入れると未知の恐怖は薄らいでいった。
今ではそのリスクをリターン(遊びたい、飲み歩きたいなどの欲求を満たすこと)が上回って外出の機会を窺っている人が多くなってきたのだろう。
つまりはこの状況に慣れちゃったというわけだ。
恐怖は未知から生まれ、理解することで慣れて薄まるのかもしれない。
朝風呂
普段の生活はみんなが休むときに働き、働く時に休むそんな生活。
なので平日の朝っぱらの空いた時間に銭湯に行くこともできる。
大きな湯舟を占有できる贅沢がそこにある。
(代価は友人と休みが合わないスケジュール)
ところで今よく見かける健康ランド(〇〇スパとか呼ばれるほうが多い)のはしりは1955年、船橋ヘルスセンターの開業にさかのぼるらしい。
そこから80年代に入り今のような娯楽施設を伴う大衆入浴施設に姿を変えていった。
私の愛した小牧にあるラッキー健康ランド(スパガーラに改名されてた)も黎明期に建てられ、2018年に施設老朽化に伴い閉館してしまった。
今もスーパー銭湯に行くと家族とよく行ったスーパー銭湯を思い出す。
あぁ、あの頃スパ銭で働いていた方々、多くの人々が休日を謳歌する中で働いてくれてありがとう。その大変さが今ならよくわかります…
初めての投稿
仕事を辞めた直後、それはもう生活の質はやばかった。
100円ローソンのカップ麺一つで一日の飢えを凌ぎ、公園の食べられそうな草を探した頃もあった。
で、まぁいろいろあって何とか生活を維持できそうになったのはよかったが、次いつまた生活の基盤が崩れるかわからなかったので、何かやろうぜと友達といろいろやってたこともあった。
なんだかんだと時が経ち、その基盤は崩れそうで崩れず今に至る。
すっかり今の環境に安心しきって居座っていたけれど、本来やりたかったことはどこへいってしまったのか。この先どうしていくのか。人生行方不明状態だった。
そんな感じでやることが特に見つからないけど、「何か」しよう。
その考えの延長線上にこのブログを書き始めるに至ったわけですね。
もしかしたら「何か」が見つかるかもしれないしね。