震災に思うこと

東日本大震災発生から11年

その日のことはよく覚えている。

自宅で深刻そうにテレビを見つめる母親に気が付かずに呑気にその日の晩飯について尋ねていた。

「唐揚げだけど、そんなことよりこれ見てみ」

そういわれてテレビを見ると、まさに津波が家を押し流す瞬間の映像だった。

 

正直現実味が薄かった。

自分が住んでいるところはほとんど揺れていなかったし、東北地方がひどい状況になっていることもその時の自分からしてみれば東北なんて行ったこともない見知らぬ土地の出来事だった。

ネットやテレビのニュースからその悲惨な状況は連日伝えられた。

しかし自分にとってはそれは「情報」でしかなく、「現実」としてとらえることはできなかった。

 

その年に学校の催しで福島、宮城出身の同学年と学生との交流があった。

状況が状況なので「大変でしたね、頑張ってください」と伝えた。

すると若干困惑したような表情で「ありがとうございます」と返してくれた。

その時なんで困ったような顔をするのか自分には分からなかった。

 

時が経ち、まさに被災した地域で仕事をする機会があった。

10年もたってインフラ等は復旧していたが更地になったままの土地もちらほらあった。

地元の人たちは意外と事も無げに自分の家が流されちゃって家電が全部パーになったと笑いながら話す人や、実際に津波に流されかけたなんて話す人もいた。

その人たちがどんな思いを胸に秘めているか、他人である自分に推し量ることはできないが、震災に対する地元の人たちの反応も人によって様々に感じたのが印象に残っている。

 

今自分が思うのは、結局のところ、痛みや苦しみというのは当事者でしか抱えられないということだ。

実際学生時代の自分も被災者に対して「大変だろう、かわいそう」そんな漠然とした感情を持っていたが所詮は対岸の火事だ。

得た「情報」から推察しているに過ぎない。

あの頃、支援物資が現地のニーズと合わずに持て余すというニュースも流れた。

情報だけで判断した無責任な同情心がさらに当事者たちを苦しめることもある。

 

結局、実際がどんな地獄だったかその辛さは当人たちだけのものなのに、分かった風な行動がより当事者たちを苦しめることがあるのだと知った。

だから大変ですねと声かけたあの日の相手の学生も、平気な地域の何も知らない人間からそんな言葉をかけられたところで白々しく感じただけだったのだろう。

 

「情報」から得た知識で苦しいだろうという先入観でみてしまいがちなこと、実際に経験していないことに共感する難しさ、他人の痛み、苦しみに寄り添う仕事を一度は志した人間としてはこれらの経験はいつも考えさせられる。